■自然災害が多い時期です。当時の経験を伝えることで、少しでも防災への一助になれば、当時の記録と記憶を綴ります
山間から長崎港を望む
この記事は
・長崎大水害について
・当時の体験談
・防災の呼びかけ
を書いております
災害に対する記事が
精神的にお辛い方は閲覧はお控え下さい。
長崎大水害とは
1982年(昭和57年)7月23日から翌24日未明にかけて、長崎県長崎市を中心とした地域に発生した集中豪雨、およびその影響による災害です。
死者・行方不明者は299人
日本観測史上最大:長与町役場で観測された午後8時までの1時間に187ミリの雨は1時間の雨量としてはいまも日本観測史上最大となっています。
建物等被害 | |
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全壊 | 584棟 |
半壊 | 954棟 |
床上浸水 | 1万7909棟 |
床下浸水 | 1万9197棟 |
被害総額 | 約3153億1000万円 |
当時の記憶
山王神社の被爆したクスノキ
1982年7月23日当時 私は小学生低学年でした。
ちょうど従兄が泊まりに来たのですが、夕方から雨脚が強くなり、土砂降りに。
アパート3階の自宅前の廊下があっという間に水溜りになるのを見て、雨がたくさん降って怖いな、雨止まるかな、と子供心に怖かった記憶があります。
テレビでは長崎市内のアンダーパス(立体交差道路のくぐる方の道)がプールのように水が溜まっている様子が映し出されていました。
床上浸水に至っては自衛隊ボートの救助が家屋の2階や3階から行われているとの情報もあり、想像を絶する被害でした。
街から水が多少引いた頃、まだ側溝や港付近では道路と海や溝の境目が分からず、落ちてしまって二次災害に合う方もいらっしゃいました。
陸上競技場の旗を掲揚する為のポールに、かなりの高さまで車がらせん状に積み重なっている信じがたい光景を見たような記憶もあります。
短時間で甚大な被害を受けたのは二面性を持った地形状況か!?
・郊外部で生じた土砂災害
長崎市は地形的に山が海岸線までせまっていて平地が少ないため、河川の延長が短く勾配が急で雨が降ったら上流から下流までいっきに雨水が流れてくるため、短時間で多くの土砂災害が発生してしまいました。
現在、気象庁が発表している「記録的短時間大雨情報」は、長崎大水害がきっかけとなりました。
・長崎市中心部の都市水害
長崎市内を流れる中島川、浦上川及び八郎川の洪水氾濫が、水害当日以降もライフラインや地下設備などの都市・設備・生活機能に、甚大な経済的被害をもたらしました。
先に挙げたように、河川の勾配が急で短いことや、長崎市は近代になって大水害の経験がなかったこともあり、市街地を発展させていく上で水害対策への視点を充分取り入れられていなかったことが被害を大きくした、と記されています。
■大水害がもたらしたもう一つの被害
電話回線のパンク
冠水や住民からの救助依頼などにより、電話回線のパンクしました。
これに伴い、長崎県や市が対策本部を設置するも、職員動員を思うようにできず、稼働不足が生じたり、また、報道機関が県警の避難勧告を報道するまでに時間がかかったとされています。
長崎大水害から得た4つの教訓と水害対策がもたらした住民への影響
①気象への教訓
気象データから得られた結果により、長崎大水害のような集中豪雨はいつでもどこでも発生する可能性があるとし、災害後、予報区の細分化を図り、予報の精度向上や降雨の異常性を伝達する工夫を進めた。
②土砂災害への教訓
砂防施設等の対策は有効であるが早期の対応が困難であることなどから、あわせて、土砂災害警戒避難体制の確立、防災意識普及の積極的推進等の各種のソフト対策を強力に推進することが必要とした。
③河川災害への教訓
水位上昇が急激な河川については、分かりやすい情報をリアルタイムで住民に周知させることが重要である。避難を呼びかける広報車は、冠水等で一部しか回れなかった。水害後、防災行政無線が導入された。
④住民への教訓
大規模災害時には、被害の同時多発等により、警察や消防はすべての被害には対応できないことから、共助が重要になる。自主防災組織の結成等を進めるべきであるとした。
⑤その他
・被災地全体への救助、支援を促す為に、特定の地区のみに報道が集中しすぎないようすること。
・警報のもつ意味、重みを適切に住民に伝えていくこと。
・自動車は水にもろいことを認識し、冠水が始まったら自動車での外出は避ける。
冠水に遭ったら、早めに高台の安全な場所に自動車を移す。
・地下室冠水への対応としては、建物の計画段階から地下室への浸水を考慮すべき。
既存施設については、一般に、防水板、防水扉の設置を行った。
住民への影響
洪水の危険性を減少させるために治水と利水を最優先に河川整備を行った結果、
・水遊びができにくい
・生物が住みにくい
環境となってしまった為、市民のやすらぎの場として利用されるような水辺環境の整備にも長崎市は力をいれています。
わたしたちができる防災とは
一番伝えたいのはこのことです。
「ここは大丈夫だよ」、「まだ大丈夫」ではありません。
長崎大水害においては、避難の呼びかけを受けた人の避難率は27.3%に過ぎず、住民の危険に対する意識にも問題を感じる数字が残されています。
先ほどの「⑤その他」の中にもあるように、
警報のもつ意味、重みを適切に住民に伝えていくこと。
とありました。
現在はインターネットのおかげで情報は当時よりも豊富にありますが、災害時には電話回線の混乱や誤った情報の発信などにより、正しい情報を早く得ることが難しい状況に陥ってしまう可能性が高いです。
日頃から災害マップなどでご自宅付近の危険度を知り、いざというときの避難場所や連絡方法を決めて他の方と共有しておくことが大事です。
また、災害の起きる可能性がある時には、地域の警報・呼びかけを受けたらすぐに行動に移し、災害・二次災害に遭うリスクを無くしましょう。
近年、自然災害の規模が大きくなる中、私たちができることは日頃から防災への意識を持つことです。
小さなお子様がいらっしゃる場合には、遊びも交えながら、お話をしてみたり、実際に「ごっこ」で経験しておくことも立派な防災訓練です。
お住いの地域の防災情報や関連官公庁が提示している防災のページを是非ご覧になって下さい。
読んでわからないことや、不安があれば確認をしておきましょう。
首相官邸 防災の手引き:防災の手引き~いろんな災害を知って備えよう~ | 首相官邸ホームページ (kantei.go.jp)
最後に
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。
長崎大水害は、急こう配な地形と災害への対策不足により、短時間で甚大な被害をもたらし、その地形の難しさや人的な要因が救助を遅れ、困難にし、被害の拡大に繫がった災害となったということを改めて知ることができました。
そして
川の役割は大きく分けて3つ
①洪水による被害を防止して私たちの安全を守る「治水」
②農業、工業、水道、防火用水、発電など私たちの生活を支える「利水」
③自然、生物等の保全や親しみのある水辺の創出により私たちの街をうるおす「環境保全」
この3つのどれかが欠けても私たちの生活に大きな影響があるということも、実感しました。
長崎大水害の日にあたり、この記事を書かせていただきましたのは、重ねての言葉にはなりますが、これから起こるもしれない自然災害を無事に乗り越える準備や意識付けのきっかけづくりになればと思い、綴らせていただいた次第です。
そして、災害・緊急事態に過酷な状況の中、救助に向かって下さる、自衛隊、救急隊、警察をはじめとする関係者の方々に敬意を表し、感謝申し上げます。
本当にありがとうございます。
最後に長崎大水害で亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。
2023年7月23日
記事参考資料:“「過去の災害に学ぶ(第3回)1982長崎豪雨災害」” (PDF). 『広報ぼうさい』27号
長崎県ホームページ 分類で探す>県政情報県の計画・プロジェクト>新県庁舎関係>新県庁舎建設地の安全性>洪水対策:洪水対策 | 長崎県 (pref.nagasaki.jp)
長崎市ホームページ 住まい・まちづくり >河川・砂防 >種類及び所管 >長崎市の河川より:長崎市│長崎市の河川 (nagasaki.lg.jp)
NHK長崎放送局 長崎大水害を忘れない:NHK長崎放送局|長崎大水害を忘れない
首相官邸 防災の手引き:防災の手引き~いろんな災害を知って備えよう~ | 首相官邸ホームページ (kantei.go.jp)